欲望の仮面

8.どうでもいい話
スポンサーリンク

人間の欲望には果てがない。

いや、一旦は果てても、再び蘇る。

それが人間の欲望である。

どんなに美味しい料理で腹を膨らませても、やがて腹は減る。

どんなに美しい女とセックスをして性欲が満たされても、(早いときは)10分で性欲は復活する。

このように、人間は欲望し、欲望を満たし、再び欲望し、また欲望を満たす、を繰り返す。

欲望無限ループゲームに支配されているのだ。

スポンサーリンク

厄介なのは「次はもっと」と今よりも高い欲求を生み出すことだ。

「もっとたくさん」
「もっと良いものを」
「もっと美しい人を」

などの「もっと」をコントロールすることは実は生きる上で大切な能力である。

そもそも、人間というのは他の動物と比較しても圧倒的に未熟な状態で生まれる。

例えば犬は、生まれたばかりの頃は母犬に依存しているが

2週間が経過すると、歩行や体温の調節も出来るようになり、母親から自立してい
く。

だが、人間の赤ちゃんはどうだろう?

赤ちゃんが自活できるようになるまでは、相当の時間を要する。何週間や何か月のレベルではなく、年の単位だ。

自活できない赤ちゃんは保護がなくなればすぐに死ぬ。

寝かせておくだけで死ぬし、うつぶせで寝るだけで窒息したりする。

つまり、人間は超弱い状態でこの世に生まれてくる。

ただ、

赤ちゃんは泣けばあやしてくれるし、

うんちをしてもパンパース取り替えてもらえるし、

腹が減ったらおっぱいも吸わせてくれる(もちろんおっぱい揉んでも怒られないだろう)。

眠たくなったら寝ればいいし、気に食わないことがあれば泣けばいい。

親は泣いてる赤ちゃんにどうにか泣き止んでもらおうとあらゆる手段を施す。

赤ちゃんが泣き止むまで、とにかく手を緩めない。

時に、いないいないバーで泣き止む赤ちゃんもいる。

え?お前「いないいないバー」を望んでたの?マジかよ、それ何得?と聞いても赤ちゃんは答えてくれない。そもそも答えられないのだ。それほどに最弱なくせに最強な施しを受けた赤ちゃんはきっとこう思っているはずだ。

 

「世の中、何もしなくても、すべて思い通りに満たされるじゃん。余裕だよこれ。」

 

だが、徐々に自立しはじめるに従って、何もかもが重い通りにならないことに気づき始める。

立てない、
歩けない、
自転車に乗れない、
字が書けない。

全然思い通りにならない。もはや無能。

また、親はいつでも自分に愛情を注いでくれるが、他人は必ずしも自分に愛情を注いではくれないし、なんなら愛情など注がれることのほうが稀だ。。

他人に嫌われる、
好きな子に振られる、
LINEを既読スルーされる、
LINEが既読にさえならない。

なんだよ、全然思い通りにならねーよ!!

そこに、環境や生まれながらの資質などが絡まり、現実を知ることになる。

実家が貧乏、
両親が離婚、
隣人が変人、
ブスな顔面、
チビな身長、
仮性な包茎、

人によって異なるものの、望ましくないが避けようがない現実に直面する。

スポンサーリンク

このように思い通りにならないことと向き合い、痛みを経験しながら、現実と折り合いをつけるために人間は頭を使い始める。

努力するか、
諦めるのか、
死んだフリか、
失敗しまくって感覚をマヒさせるのか、

やり方も洗濯も人それぞれだが人間の悩みの大部分は、この折り合いをどうつけていくか、ということに由来するのだ。

やがて困難を乗り越え、次第に欲望を満たす望ましい状況になったとき、油断をするとすぐにまた困難にブチ当たることになる。

食べ過ぎれば太るし、
飲みすぎれば体壊すし、
浮気し過ぎれば最愛の人に愛想をつかされる

欲望を満たすにしても、「ほどほど」にしておくことは、自分の身を滅ぼさないための重要な能力かもしれない。

一定のラインを超えると、もう後戻りができない。

本当は「もう少し」「あとちょっと」と思っているが、ぐっと堪える自制心を持つこと。

いわば、欲望の仮面を被ること、それが自分の身を守ることになるのだろうか。

俺は今、自分の欲望と葛藤している。

欲望の仮面を被るべきか

欲望のまま身を任せるべきか

俺は深く悩んでいた

 

 

 

洗浄の強さを上げるかどうかに

 

 

 

俺のアナルはここ10年で相当に成長した。

いや、成長したというか、開発されたというのか。

それは俺にはわからない。

いつのころだろうか、思い出せない。

恐らくは2000年代後半。

俺はウォシュレットデビューを果たした。

それまで、俺のアナルを刺激したのは奉仕精神が高いドM女の舌だけだった。

あのドM女以外、俺のアナルに近づいたものはいなかった。

ウォシュレット処女だった俺は最初は怖くて、洗浄の強さは「弱」一択にしていた。

刺激などしなくていい、ただ水で流してもらえればそれでいいと。

あの時は本気でそう思っていた。

しかし、慣れてくると徐々にその強さを高め、とうとう昨年。

洗浄の強さを「真ん中」に選択するまでに、俺のアナルは成長した(というか開発された)。

洗浄方法にしても、最初は汚れを落とすのみに使用していた。

しかし、今は

 

 

もう汚れは落ちてますよね?という段階でも止めない

 

 

俺はこの洗浄を超えた洗浄のことを「洗浄の向こう側」と呼ぶことにした。

そして、俺は今まさに過去の俺との対岸にいる。

洗浄の強さがとうとう「強め」領域に踏み込んだ。

そして、ウォシュレットの目的が「洗浄」から逸脱しはじめている。

俺のアナルは新境地に向かい始めたのだ・・・。

電マやウーマナイザーを多用したマンコはバカになると聞いたことがあるが、おそらくそれは正しい。

そして、きっとウォシュレットの普及率が高い東京では「ビデの向こう側」にいる女もいるのだろう。

ねぇアレクサ、ビデの向こう側にいる女はどこに行けば会えますか?

スポンサーリンク

このサイトをフォローする!

コメント

タイトルとURLをコピーしました