漏れの本質

8.どうでもいい話
スポンサーリンク

「あなたは最近、いつ漏らしましたか?」

加えて、質問したい。

この質問の深さにお気づきだろうか?

漏らすといえば、幼少期の頃は「おねしょ」がトレンドだ。

だが、小学校高学年に近づくにしたがって、漏らすのメインターゲットが「おねしょ」から「ウンコ」に変移する。

スポンサーリンク

また、中学・高校の頃に「漏れそうになったことある?」と質問すると、誰もが漏れそうになったエピソードを語ってくれる。大体、授業中やテストの時にラオウ並の便意を催し苦しんだという内容だ。

俺も小6のときに危機的状況に陥ったことがある。学校からの帰宅途中、自宅マンションまであと30mというときに急に襲ってきた腹痛。明らかにアイツが暴れ出した。ダメだ・・今すぐにでもウンコが漏れそうだ!!!

漏れる限界値が最大100として、普段便意を催しトイレに向かって歩いているときはせいぜい漏れる限界値は56程度だ。完全にウンコを出す・出さないは自分のコントロール下にある。

だが、この時点の俺の腹は漏れる限界値84を記録していた。能動的にウンコできる余裕のある状態ではなく、圧倒的な受け身ウンコ。ウンコを出さざるをえない受け身ウンコ。ふっ、be+PPとはうまくいったものだ。まさに腹はピーピー状態だぜ。

こういうとき、俺はいつもウンコに語り掛けていた。「お前、何を考えてるんだ・・・。さっきまで静かだったのに!!お前の目的はなんなんだ!!!!」と。まぁ、そう語り掛けたところでウンコはただの排泄物で意思もないし、絶望的な腹痛が収まることは一切ない。ただただ排泄物のくせにウンコは俺に命令する。「出せ、俺を出せ。出さなければ、お前はどうなる?」と・・・・。

ウンコからは厳しい要求がなされた。

だが、俺は耐えた。

ひたすら、耐えた。

小6でウンコを漏らしたとして、もしそれを同級生の誰かに見られたら・・・

俺は「一生ウンコ漏らしたやつ」と言われ続ける。今の俺ならおいしいとは思えるが、当時の俺には無理。おいしいわけない。きたねえしくさいだけだ。

耐えろ・・耐えるんだ・・・。このとき漏れる限界値は88を計測。限界まであと12。

俺は今までかいたこともないような冷や汗をたらしながら、身体への振動を極力与えないよう、静かに静かに歩いた。

牛歩戦略のもと、努力の甲斐もあって気づけば自宅マンションのエレベーターの前にいた。よく頑張った、俺。

だが、大体こういう時に限ってエレベーターがなかなか来ないことはある。

だが、俺はやはり運がいい。

全然エレベーターが来ない。

「あ、ばかなべ君おかえり!」

な・・なんと!!エレベーターを待ち焦がれるこのタイミングで俺が密かにかわいいと思ってる同じマンションに住んでるユミちゃんが俺に話しかけてきた!!!ああ、相変わらずなんちゅう美人だ・・・かわいい・・かわいすぎる・・・でもウンコ漏れそう・・・・

「お・おお、ユミちゃんやん。うん、俺は今帰ってきてん。」
「そうなん?私もやねん、今日暑いなぁ。」
「お?あ、おお、暑いな・・」

普段なら、最高のシチュエーションだ。小6のブスチビの俺にとってユミちゃんみたいな美人としゃべれるなんて、真夜中に雪見だいふくを食べるような幸せのひとときでしかない。

だが、今日ばっかりは会話さえ辛い。仮にユミちゃんの前でウンコ漏らしたら、密かな俺の恋が終わるだけでなく、俺の人生そのものが終わる。女性の会議は長い発言よりもよっぽど人生の危機。マジ勘弁してくれ・・・・と悩んでたとき、ようやくエレベーターが降りてきた。

中からジジイとババア3人がのんびり降りてきた。そうか、こいつらがノロノロしてたおかげでエレベーターがなかなか来なかったのか!!クソ!!お前ら常にBダッシュで動いてドトールでコーヒーでもすすってろよ!!このノロマクソババア&ジジイ!!もうお前らは会長やめろ!!!

などと思いつつ、「こんにちは」と引きつりながら笑顔で挨拶した俺は偉い。近所付き合いは大事だからな。

よくやった・・・

だが、この時点で漏れる限界値は94・・・

いかん・・・

あと6で漏れる・・・

「ふふ、どうしたん?ばかなべ君。顔白いで?」

アユミもエレベーターに乗ってきたぁぁぁぁ(;゚Д゚)

いやいや、お前の家2階やし、いつも奥の階段使ってるのに、なんで今日に限ってエレベーターに乗ってくんねん!!

今思えば、ちょうどエレベーターが来たから乗っただけなんだろうが、俺からすれば2階に一瞬止まるその時間さえも死へのカウントダウンである。

「じゃね!また明日!!」

2階で降りていくアユミはいつも通りの美人だったが、そのときばかりは空気銃を5,000発喰らわしたくなった。ウンコというのは人をここまで腐らせるのか・・・

とか言いつつも。

無事、俺は自宅のある10階にたどり着いた。

肛門はいつ破裂してもおかしくない、ギリギリの状態ではあった。

だが、あと数10歩我慢すれば自宅に到着し、玄関から10歩程度でトイレに到達できる。

漏れる限界値はすでに97。

危機的状況ではあるものの、ゴールは見えた。

小学校1、2、3、4、5。

これまで俺はウンコを漏らしていない。

小学生にとって全盛期であり集大成でもある6年のこの時期にまさかウンコ漏らし危機が訪れるとは思っていなかった。

しかし!!

あと一歩の段階で俺は踏みとどまっている。

どんなに苦しくても前に進み、ゴールを目指す。

この時初めて、24時間テレビがやめたくてもやりつづけるマラソン企画の意義を1%だけ理解することが出来たというのは嘘だ。あんな茶番は今も必要ないと思ってる。

スポンサーリンク

さぁ、トイレまであともう少し。

諦めるな。

前へ進め。

あと少しでトイレに到達する。

俺は完全勝利。

 

 

 

 

玄関前、全脱糞。

 

 

 

 

自宅のドアに手をかける寸前、俺の肛門は爆発していた。

誰だ?全集中とかきれいごと言ってるやつは。

全脱糞より清くて尊いものはない。

全脱糞、下痢の型。

肛門から足を辿り、靴下までたどり着いた大量のゲリウンコの温かい感覚。

白の靴下がみるみるうちに茶色に染まる。

自分の限界を超え、圧倒的敗北感とともに襲ってくる脱糞による快感。

自分の意図とは関係なく排泄するとは、なんて屈辱的快感なんだ・・・

俺はいまだにその感覚を忘れられない。

脱糞した途端、先ほどまでの腹痛が嘘かのようになくなった。

俺の戦いは終わったのだ。

自宅前だったため、誰にも目的されることはなく俺は「大便を漏らす」という貴重な経験を得た。

これはある意味、人生の勝ち組だともいえる。

自宅前までウンコを我慢できたことがどれほど意義のあることなのか、これは後に知ることになった。

我慢できるかどうか、いや、漏らすにしても「どこで漏らすか」で人生は変わるのだ。

それを証明するエピソードが1年後にやってくる。

中学1年の秋。

同じクラスの辻君が林間学校(修学旅行とは違うけどなぜか学年全員が山に集められ、お宝さがしやキャンプファイヤーでマイムマイムを踊った後、ボロボロのテントという劣悪な環境で見知らぬ同級生5人と1泊させられる意味不明の行事)で、おねしょをしてしまい、同じテントのやつらが「辻君がおねしょしてます!」と大騒ぎ。女子たちも集まってくる中、辻君が漏らしたと思われるシーツをこれ見よがしに干す男たち。

一人泣き叫ぶ辻君を笑い飛ばす男子と女子、それを面倒くさそうに静まらせようとする先生たち。

寝ながら小便をしただけで集中攻撃を喰らい、辻君の人生は完全にオワタ(実際は中学校生活が終始おねしょキャラで死んだのでやっぱりオワタ)の光景を見て、村社会ニッポンでは「失言=死」、「漏らす=死」の価値観を改めて認識した(森会長、お疲れ様でした)。

小便漏らして人生が終わるので、ウンコを漏らしたとか、マジで抹殺領域。

辻君の一件以来、

身体を鍛えたり、

勉学に励むことよりも、

何よりも「絶対漏らすものか」を最優先に俺は生きてきた。

おかげさまで、35歳のときにオナラしたらウンコ出たときを除き、今のところ盛大に漏らした経験はない。

小6のとき、ウンコを漏らした時は自分でパンツを洗ったが、35歳の俺はウンコを漏らした時、ウンコパンツを一切の迷いもなく燃えるゴミとともに捨てた。

ウンコを漏らしたパンツを隠蔽し、何事もなかったようにパンツを買い替えるほどの経済力を俺は手に入れていた。もはや無敵だ。

だが、同時に俺はある異変に気付いた。

率先して「漏らす」ことで、自分の価値を上げる者がいるのだ。

そう、ウンコでもおしっこでもなく、いや、それおしっこじゃないの?と思いながらも詳しく調査するわけではないが。

手マンで漏らす女は、漏らすことで自分の価値を上げている。

俺たち男は、女に漏らさせたいがために手マンする。

たとえ、腱鞘炎になろうが、俺たちは手マンする。

漏らすお前を見て、表現しがたい喜びを得るために。

スポンサーリンク

そして、女は自分の意図とは別に、手マンされ、漏らす快感を味わう。

そして、漏らせば漏らすほど、女は男の心を奪い、男を魅了する。

女の前で漏らした辻君は、すべてを失った。

男の前で漏らした女は、何かを手に入れる。

家の前でウンコ漏らした俺は、JTの決算をまたいで死亡する。

「どこで、漏らすか。」

人生は、それで決まる。

漏らす女、万歳。

JTまたぎ、減配。

は?

このサイトをフォローする!

コメント

タイトルとURLをコピーしました