猫派より犬派が、ナンパ師に向いてる説

◆30日後に春休みが終わるばかなべ
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犬が私を、嘘つき人間にし

私は、子供の頃からずっと猫派だった。

私は今でもタマが可愛すぎて困っている(キモいおじさん)。

遠くから見る犬はかわいいと思うが、近づきたくはない。猫に比べて犬のほうが圧倒的に噛んでくる確率が高いからだ。戦闘力も恐らく私より高い。

キャンキャン鳴くポメラニアンでさえ怖い。なぜあいつはあんなにキャンキャン鳴くんだ。怖いよマジで。

だから、私は犬を警戒するし、犬もまた私を警戒する。お互いを警戒し合うアウトボクサー同士のような距離感は、今後も縮まる見込みはない。

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今でこそ、猫派は犬派と同等レベルに扱われているが、私が子供の頃は圧倒的に猫派は少数だった。誰もが犬好き、犬こそ正義、犬こそ孫正義、犬こそソフトバンク・ビジョン・ファンド、そんな時代があった。あ、それは今の話か。

また、多数を占める犬派たちは、当時こともあろうに

 

犬が好きな人=動物好きな人=良い人

 

というわけのわからない公式を押し付けがちだった。いや、正式に犬派が発表したわけではないが、肌感覚としてこの価値観は昭和生まれに根付いていたと思う。

よしこ「ばかなべ君、犬好き?」

小中学生の頃、何度この質問を女子から受けただろうか。

もちろんこの質問主は「私は犬が好き」という前提が隠されている。

いや「私は犬が好き、つまり動物好きだから人として良い人側なの」という思惑が隠されている。

愛しのよしこちゃんからこんなことを言われれば、もちろん回答は「犬はよしこの次に好き」である。本当は犬が恐いけど、猫のほうが数百倍かわいいと思っているけど、私は「犬が好きだ」と嘘をつきつづけた。

犬と猫どっちが好き?という質問には、相手がどっちかを先に聞き、相手が犬なら自分も犬だと嘘をつきまくった。

ただでさえブスでチビなのだ。犬が好きという嘘をつかなければ、ダメ人間のレッテルを貼られ女子にとっての異性枠から外されてしまう。男としての生き残りの戦いのために、必死で私は嘘をつき続けた。偽りの犬好きだ。

そんな私は思う、犬派のほうがナンパ師に向いていると。その理由を解説しよう。

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犬と猫、もしペットで飼ったとしたら大きな違いがある。

犬は散歩をする。猫は散歩をしない。

猫を散歩につれている人を今まで見た覚えがない。ということは恐らく散歩に連れていく必要がないのだろう。猫を飼う女と付き合ったこともあるが、基本的にほったらかしだった。

ところで、犬を飼ってる人が犬を散歩に連れて行くと何が起きるのか?

それは、他の犬の散歩者との出会いである。

いや、犬をダシにしてナンパせよという意味ではない。なぜなら、犬の散歩をしている若い美女などほとんど見たこともないからだ。概ね、ナンパ対象から年齢的にご卒業された方が多い(自由が丘あたりでおしゃれアピールしている犬セレブ衆を除く)。

ただ、犬の散歩者同士が道で出会うと、大体は犬同士がじゃれ合い始める。そうなった時が厄介だ。犬が楽しそうに他人の犬とじゃれ合い始めたら、飼い主はどういう行動をとるだろう?恐らくは・・・

「こんにちは~」
「こんにちは~、天気よいですね」

 

挨拶が始まるのだ。

 

どこの誰だか知らないけれど、お互いが犬を散歩していたという理由だけでとりあえず挨拶が始まる。

さらに・・・

「かわいいですね、マルチーズですか?」
「そうなんです、そちらは?」
「うちはシーズーなんです」

などと会話が始まる。

ああ・・・

 

 

めんどくせぇぇぇ

 

 

この「挨拶」というものがどうも私は面倒くさい。

例えば職場の挨拶。出勤するや全員が部長のところまで行って「おはようございます。」と朝の挨拶に行く。部長は全員に「おはよう。」と目も合わせずに挨拶をする。一体、その挨拶に何の意味があるのだろうか?

挨拶がコミュニケーションを良好に保つのに一定の効果があるのはわかる。だが、過剰に挨拶しまくる場面が多くないだろうか?対話する相手にきちんと挨拶すれば良いのであって、儀式的な挨拶マシンガン砲はいらないというのが私の考えだ。

挨拶されればもちろん笑顔で返すようにしている。常に機嫌良く振る舞うことは大切だ。でも、挨拶されすぎて内心面倒くせぇと思ってることもある。

例えば、職場で廊下を歩いていると「お疲れ様です。」と、どこの誰だか知らない人(相手は私を知っているかもしれないが)が挨拶をしてくる人がいる。

 

まず、別に疲れてない。

 

疲れてないのに「お疲れ様です。」と声を掛ける日本企業の意味不明な文化は一体なんなんだろう?本当に私が疲れていると思っているのか?だったら休ませてくれよ!

いや、そんなわけはない。疲れてたらすぐ休むし、どちらかというと元気そうに見られるタイプだ。では、疲れていることが良いことでも思っているのか?疲れないように健康に配慮したほうが良いだろ!

普段対話がない関係なら笑顔で会釈ぐらいで十分、というぐらいに無駄な挨拶が私は面倒くさい。

同じバス会社のバスがすれ違うとき、運転手同士が敬礼のような挨拶をしているのも見かける。あれも大変だ。どっちかが挨拶に応じなければとたんに人間関係は崩壊。だから、あれは半強制的な挨拶なんじゃないかと思ってる。

そして、考えてみてほしい。バスの運転手なら挨拶じゃなくて運転に集中してほしい。挨拶のために運転が疎かになるのは本末転倒、すれ違うバスに目配りするのはよそ見してるようなもんだ。だが、今日も挨拶は繰り返される。

挨拶することこそ正義、という根強い価値観が過剰な挨拶活動になっているのでは?と思うのだ。

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そういう意味でいうと、もし私が犬を飼っていたとして散歩で色んな人に寄って来られたら面倒くさいと思うだろう。かといって邪険に扱いでもしたら、「あの人はヘンな人」と噂が回り、私がご近所さんに嫌われたせいで私のワンちゃん(仮名KINGレイナ)まで寂しい思いをさせてしまうだろうのは忍びない。よって満面の笑みで対応するだろう。こうして、犬がまた私を嘘つきにする。

ちなみに、無類の犬好きのようなおっさんにつかまったら最悪。「かわいいでちゅねー」などと全然かわいくないおっさんが赤ちゃん言葉で犬に語り掛ける。そして私に「この子何歳?」「オス?メス?」などと尋問してくる。最高に面倒くさい。答える義務はない。

だが、私はやっぱり答えるのだろう。答えたくもないおっさんに対して「KINGレイナは1996年生まれの23歳、出身は東京都で160㎝。いうまでもなくメス、ていうか女性です」と・・・・

などと犬の散歩をしている他人同士が会話しているのを見ながら思っていたら、あることを思い出した。

確か、

 

ナンパは挨拶

 

という意味不明な言葉が過去存在していたような気がするのだ。古い話で忘れてしまったが、何かのブログかTwitterで見た記憶がある。ナンパすることを「挨拶活動」とも称していたように思う(今もあるのかは知らない)。

この「ナンパは挨拶」という言葉はとても秀逸だと思った。

私が大学のとき、ビビってナンパできない後輩に「挨拶みたいなもんだから」と言った覚えがある。その言葉をきっかけに後輩は初ナンパに挑戦できた(もちろん惨敗)。

ナンパを挨拶と捉えれば、幾分かナンパするぞ!という姿勢よりも気軽になる。あくまでも本当に挨拶だけで終わってもいい。まず声を掛けることに慣れるのはナンパにとって大切だ。

また、相手が挨拶されてうざいと思うかどうかは別にして、挨拶してるだけなんだという気持ちが行動を後押ししてくれる。

いや、そもそも挨拶するのが好きな人は多数いる。職場に存在する誰彼かまわず「お疲れ様です!」と笑顔で挨拶してくるさわやかな彼らだ。

そういう人は、相手からの挨拶をうざいとも思わないだろうし、犬の散歩中に他の犬散歩者と出会ったら挨拶をして会話を楽しむだろう。

結論、挨拶をするかのようにナンパできる犬派の人間のほうが、挨拶さえするのが面倒くさい猫派よりもナンパ師に向いている。

と思ったのだが、だからどうした?とも思っている。ところがすでに3,700文字程度無意味なことを書いてしまったので引っ込みがつかない。ああ、どうしよう・・・なんだこのブログつまんねぇなどと怒られたら・・・・とは思ってなくて

 

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春休みが終わるまで あと13日

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