人生は配られたカードで勝負するゲームだった

8.どうでもいい話
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生まれた時点で与えられた環境、それが人生ゲームスタート時点で配られたカードだと考えてみるとなかなか面白い。

両親がいる人もいれば、片親の人もいるだろうし、兄弟・姉妹がいる人もいれば、一人っ子の人もいるだろう。生まれた時点でそのカードは自分で選ぶことができない。

住む家、幼稚園や保育園、小学校。

幼少期はほぼ親や教師から配られたカードを持つことになる。

やがて、「本気でやりたい」「これ面白い」と、何かを見つけた人は、親や教師からではなく、自ら違う場所に行って新しいカードを探し出す。

新しい場所には新しい景色、新しい技術、新しい人、新しい情報のカードが満載、手持ちのカードはどんどん変化していく。

持てるカードの枚数はある程度限られてしまう。無限に持てない理由は時間があるからだ。限られた時間の中で自分が持てるカードを取捨選択していかなければならない。

だから、本気でやりたいことを見つけたなら、その分野のカードを集めまくることになり、そのカードの揃え方次第でアウトプットが大きく変わる。もちろんその分野に集中する分、別の分野のカードは捨てていかなければならない。

どんなカードをどんなバランスで持つかはすべて自分が決められる。

技術や処理能力が上がれば持てるカードの枚数を増やすこともできる。

お金やテクノロジーを使って持てるカードの枚数を増やすこともできる。

大人になると納税と勤労の義務を果たすために多くの人が働き始める。

勤務先にいけばカードがどんどん配られる。

会社から配られたカードを一生懸命処理するうちに時間はどんどん過ぎていく。会社の命令は絶対で配られたカードをカイシャインは必死に捌く。

やがて職場や飲み会などで知り合った人を恋人にし、「そろそろかな」という申し合わせがあると結婚したりもする、

というのが昭和時代の日本人のデフォルトだった。

現代はデフォルトを好む人もいれば、好まない人もいたり、デフォルトをカスタマイズする人もいる。

会社から配られた仕事ではなく、自ら違う仕事を好む人もいる。

結婚したい人もいるし、したくない人もいる。

結婚して離婚する人もいれば、離婚しない人もいる。

どちらが良いとかどちらが悪いとかではない。

何を選択するかはその人の自由。

配られたカードを持ち続ける人もいれば、好きなカードを探し続ける人もいる。

昭和時代と違うのは、配られたカードで勝負するのではなく、自分でカードを探すというステージが増えたことだろう。

配られたカードに不満があるなら、自分で新しいカードを探せばいい。

私は配られたカードでは満足できない。

だから今も新しいカードを探し続けている。

ちなみに、現時点で私が持っているカードは一体何だろうか?

と思い確認してみた。

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